〜 日常の小さなしあわせを大切に見つめて それが私のhappy-days 〜
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2009.04.18 Saturday | - | - | - |
遠い国からの刺激
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こんばんは


 ネットで色んなところに居る人のブログを読めるようになったから、実生活では絶対交わらないであろう線上に居る方の日常も、知ることが出来るようになりました。

 ひょんな事から行き着いた、ある女性のブログ。
MBAを取得する為にアメリカに留学中の20代の女性。

 帰国子女でもともと海外での生活も多かった方のようですが、日本で一時商社に勤めていたけれど、会社を辞めてアメリカに留学中です。


 なんか、そういう人の生活って、ほんと別世界。
留学先の学校には、それこそ世界中から優秀な学生が来てる訳です。
たぶんこれからの世界経済を動かしていくような人たち。

 勉強はそれはもうめちゃくちゃ大変そうなんだけど、その生活は、羨ましくもある。

 何が羨ましいのかわからないけど、彼女のブログを読むと、なんだか焦りを感じてしまう。
「世の中、こんなに必死で目標に向かっている人が居るのに、私なにやってんだ」って。

 世代もぜんぜん違うし、私が今から出来ることがあったとしても、その人の居るような世界ではありえないんだけど。


 20代の若者の生活と自分を比べるなんて、愚かなとも思うけど、胸の奥がザワザワするのは、あんなふうに必死にひたむきに、何かに向かったことがないからか。
充実感に満ちた駆け抜けるような暮らしが羨ましいのかな。


 でもその彼女が居る世界は、学生の1割がカウンセラーやセラピストのお世話になっていて、要求度の高い学校からのプレッシャーや、競争心や向上心あふれる仲間たちからのプレッシャーに耐え切れず、追い込まれうつ病や自殺を試みる人も多いそうな。


 そんな世界が必ずしも生きよい、生きたい世界ではないけど。


 人生の半分は過ぎたのに、まだまだ自分に満足していないのかな。


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 まぁとりあえずは 目の前にあることから。

 年を重ねて知ったことの一つは、先の事も考えながら、目の前にあるやるべき事を大切にしっかり向き合うことが、先につながるという事でした。

 焦るのではなく、ありがたい刺激として受け取ろう。

だから感謝とエールを、遠い国のあの人に。


2008.12.04 Thursday 22:44 | こころのこと | comments(2) | trackbacks(0) |
カゼひいてました。
 風邪をひいていました。
今もまだ治ってませんが、回復方向に向かってきてます。

 先週半ばからのどの痛み、鼻水鼻づまり、咳と、少しずつ症状が増えてきて、ぜーんぶが重なってたこの週末。
深夜横になってから咳き込みが激しくて、眠れないことも。
土曜日までは仕事、日曜日は太極拳の大会があって、今日ようやく病院にいけました。

 のどの痛みが引いてきたので、回復期に入ったようです。
やれやれ。しんどかった。

 体調が思わしくない中、このところパソコンの調子も悪く、突然落ちたり再起動始めたり。
修理に出さないといけないようですが、そちらもなかなか話が進まず。

 なんつーか、久しぶりにいらいらも絶頂にきたこの数日。
あきれるぐらいに否定的な自分に驚く。


 とにかくいろんなことが気に食わないんですよね。
夫に対してもそうだし、知人とか友人とか職場の人とか。
特定の人だけじゃなくて、社会の風潮に対してもなんに対しても。

 でも今だけじゃなくて、基本的に私は自分以外の人には否定的なんだと思いました。
普段はそれに蓋をして、自分の中で押させえてるだけで、実はいつもいろんなことを否定的に見て、心の中で文句つけたり馬鹿にしてたりする。


 そう、もうこの際認めてしまう。
私はそういう人なんだ。
何でも受け入れられる、人を批判しない器の大きい人間でありたいけど、ぜんぜんそんなんじゃなくて、人の欠点や短所が目に付くし、いちいち人を批判したり、人をやっかんでは否定するちっさい人間で。

 
 でもなぁ〜。
しょうがない。それが今の私。
でもそれが私のすべてではないとも思う。
単にそういう面があるというだけのこと。

 ちっさなことでしあわせになれたり、人の幸せを心から喜ぶときもあるし、本気でその人の手助けをしたいと思うこともある。
そういう一面も確かにある。
 

 そんなもんじゃないのかな人間て、って思いました。
いろんな面があって、それこそ天使にも悪魔にでもなれて。
そのなかで、どういう自分を選択してるかってだけで。
 
 だから、自分でもがっくり来るぐらい情けない嫌な面もあるけれど、そればっかりじゃない。
それで良い事にしました。

 一面だけを見て、「私ってなんて情けない・・・・」って自分を否定してもしょうがない。
そういう時もあるさ、で流すことも大切。


 そこにとらわれてしまう事が流れを止めてしまうことになる。
水の流れと同じで、流れを止めばどんどん澱んで行くだけ。
人間の60%は水なんだからねぇ。

    
 なんて事をこの数時間前に考えたら、ふっとここ数日のイライラとささくれだってた気持ちもガス抜きをされたようで、こうしてパソコンに向かう気持ちになりました。


体調不良がきっかけで、イライラした自分に気がついたけど、案外大きな収穫がありました。 
オッケーオッケー。



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 先日COOPで初めて買った冷凍の大福。
自然解凍で普通の大福餅と変わらない味になりました。

 今川焼きとか鯛焼きの冷凍は知ってたけど、大福餅まで冷凍があるなんて。
しかも結構おいしい。
なかなかよろし。
2008.10.06 Monday 20:18 | こころのこと | comments(8) | trackbacks(0) |
心地よい時間
 寝る前の15分から20分程度、軽くストレッチをするのが習慣です。
最近はそれプラス、習ってきたヨガのポーズをして体をほぐすこと、そして仕上げにシャバーサナ(屍のポーズ)で、完全にリラックスするという事をやっています。

 それだけでもかなり気持ちよいのですが、ここ数日その寝る前の時間を電気をすべて消して、キャンドルの灯りで行うようになりました。


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 ふとした思い付きでやってみたんだけど、これがとてもいい。
我が家はすべて白熱灯もしくは白熱灯色の電球なので、蛍光灯のように明るすぎることは無いのですが、それでもやはり明るいのですね。

 わずかなキャンドルの灯りでは暗いかと思ったけど、照明を全部消した部屋だとキャンドル1本でも結構明るいのです。

 写真は3個のキャンドルホルダーですが、1個でも十分な明るさです。
この灯りの中、波の音がするCDをかけてストレッチにヨガ。
自分の呼吸の音に意識を向けて、なんちゃって瞑想もやってみる。

 シャバーサナーというのは、仰向けに寝てからだの力を抜くまさに屍のようなポーズなんですが、最後にこれをやっていると、軽く夢の世界に行きそうになります。

 ストレッチタイムが終わってからも、電気をつけずにそのままキャンドルの灯りで寝室へ。
そしてベッドに入ってキャンドルを消して眠る。

 もともと寝つきはよいほうですが、こうやって寝る少し前からキャンドルの灯りだけにしてから、ぐっと眠りが深くなったような気がします。
それまで、ほとんど毎日深夜に1度は目が覚めていたのが、このところ朝までしっかり眠れますから。
キャンドルが効いているのか、ヨガが効いているのかわからないけど、多分両方でしょうね。

 寝る直前までTVを見たり、PCをしたり本を読んだりというのは、脳を興奮させたままになるから、睡眠にはあまりよろしくないと言いますもんね。
たぶん明るすぎる照明も、いまいちなんだろうな。


今は、毎晩のこのリラックスタイムがとっても気持ちよくて、この時間が一番の楽しみです。

 ヨガのときにいつも先生は「ヨガのからだと向き合うことで、自分の心とも向き合ってください」といわれます。

 キャンドルの灯りで、自分とじっくり向きあう。
大切な時間です。


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2008.10.01 Wednesday 21:19 | こころのこと | comments(6) | trackbacks(0) |
しあわせな人が増えてほしい
 実家に帰って驚いたのは、父親がずいぶん穏やかになっていることです。

 元々神経質で短気なタイプ。
自分が几帳面で生真面目なので、そうでない人が許せないのです。
ここでも何度も書いたけど、そりゃもういつもイライラしてて、子供の頃は私もいつ怒りのスイッチが入るか機嫌をうかがっていたので、父親が嫌いでした。
 
 年とともに少しずつ穏やかになるかと思いきや、それはそれで特に性格が正反対の弟のことについては、心配が募りすぎていつもイライラしていました。

(それに、人間年をとったら穏やかになるというのは、幻想です。そんな人のほうが少ない。それこそいろんな不安が増えて穏やかでいられない人のほうが多いと、介護職の時に知ったのですけどね)

 それでも弟が結婚して自立したので少しは落ち着いていたのですが、今度は孫ができるとそれがまた再燃。
孫かわいさのあまり、弟達の子育てについてもあれこれ気にしてイライラ。

 心配性といってしまえばそれまでなんだけど、黙って心配してるのではなく、自分の思うようにしない周りに対して怒りをぶちまけるものだから、たまったもんじゃない。

 母はいいけど、父はめんどくさいと思っていました。
悪い人間じゃないけど、うっとおしいというかめんどくさい。
まじめで几帳面すぎるのは、こちらも息が詰まるのですよ。

 ところが今回半年振りに帰省して、目に見えて父が穏やかになっているのに気づきました。
どうも、甥っ子が2歳を過ぎてそろそろ落ち着いてきたので、父の心配も少しは薄まったようなのです。

 甥っ子は初孫だし、弟達もはじめての子育て。
その上1歳過ぎた頃から風邪をこじらせたりして、体調も落ち着かなかったので父としては心配でたまらなかったのでしょうね。

 それが今はずいぶん元気で、自分の意思もちゃんと伝えられるようになってきて、その成長が父を安心させたようなのです。

 いつもは帰省するたびに弟達の子育てに対する不満を聞かされていましたが、今回は一度も無かった。
甥っ子のこと以外でも、しょっちゅう母と口喧嘩していたのに、それもほとんどありませんでした。

 今でも言い合いはしていましたが「たまに刺激しとかないと」とコミュニケーションの一つだと思ってやっているようなので、こちらが嫌な思いをするようなことではなかった。
母も、父の変化には気づいているようでした。

 人を攻撃する人は、不安を抱えてる。
常々そう思っていましたが、やっぱりそうだなと再認識しました。

 しあわせで満ち足りていて、不安が無い人は人を攻撃したりしないものです。
逆に誰かを攻撃せずにいられないのは、どこかで自分を守るためにやっている部分があると思うんです。

自分がなくなる不安、自分の力を誇示せずにいられない不安。
そもそも自分のほうが相手より正しいと言う、意志のぶつかり合いが喧嘩なんだし。
お互いの意見が違っても、それをすり合わせる事、違う考え方もあるという視野の広さがあれば喧嘩になんてならないとは思うんですけど。
自分の考えを伝え合う事と、喧嘩する事は全然違う。

 相手が自分と違う意見をもっていても、それはそれで認めてどう近づくか。
自分の意見を通すことが強いことでも正しいことでもないし、自分が正しいと思って振舞う人間が本当に正しいわけでもないでしょう。

 もう一つ人生に対する捉え方もあるのかな。
思うようになることは少なくて、思いがけないことが起きるのが人生。
心配して構える事ばっかりしていても、しょうがないと思うんですけどね。


 それはおいといても、私なんかは両親のぶつかり合いを子供の頃から見ているので、自分の意見しか見えない人は、「頭悪いなぁ」と思ってしまうんだけど。
 
 でも、そうやって人がやってることには引いて見れるけど、自分自身のことになるとなかなかね。
私自身も自分の考えだけにのめり込む資質があるので、常に意識していないといけないとは思っています。

 話がそれてしまったけど、結局私はやっぱり世の中にしあわせな人が増えてほしいと思うんです。
人の幸せを喜ぶとか願うとか言うと、すっごく出来た人間みたいだけどそうじゃ無くて、そのほうが私が気持ちよく生きられるから。

本当の意味で満ち足りてしあわせな人は、人を攻撃しないし、ひとに迷惑を掛けるようなこともしないと思うんですよね。
自分で完結してるから。

 じゃぁしあわせってなんなんだ、しあわせな人ってどんな人なんだって話になるけど、
それはまた別の機会にでも。 
2008.06.26 Thursday 12:37 | こころのこと | comments(3) | trackbacks(0) |
こころの整理
 どこか心が軽やかになりきれないときは、目をつぶらずにちゃんと自分の心をチェックする。

 引っかかってる事がある、気になることがあるのに、何事も無いふりをしたり、気にしていないふりをしてる。
それは自分をごまかしている事。
 
 向き合う事が面倒だったり、刷り込まれたポジティブシンキングで、気にしていない振りをしてしまうけど、案外心は正直で、いつもウズウズうごめいて、スッキリさせてと合図する。

 ごまかしてもダメ。
ごまかしても、ごまかしきれない。
目をつぶったところで、かえって影は濃くなるだけ。

 何が嫌なのか、何が気がかりなのか。
そこに引っかかってしまうのは、悪い事じゃない。
気になるのは、弱いわけでもない。 

 ちゃんと自分の気持ちに向き合って、自分の心を整理する。
自分の素直な気持ちを受け入れる。
それが一番大切なこと。

 細かい事を気にしたり、ちっちゃい事にこだわったり、さらっと流せない自分の小ささに情けなくなる事も有る。
自分がその程度だと思いたくない気持ちもあるけれど、しょうがない。
それが今の自分だから。
等身大の自分だから。

 背伸びしてもしょうがない。
それがありのままの今の私。

 ちっちゃくて、情けない今の私。
でも、そんなふうでも、私は頑張ってる私が好きだ。
ここまでずっと頑張ってきたし、これからもずっと頑張っていく。
そんな私が、私は愛しい。

ふふふ、私は私が大好きなんだ。


diary080609

2008.06.09 Monday 21:03 | こころのこと | comments(0) | trackbacks(0) |
結局自分が呼ぶのよね。
 イライラすることが起きるから、イライラするのか。
イライラしてるから、イライラするような出来事が起こるのか。

 私は後者だと思うんです。
私の実体験としてそう思うし、他人を観察していてもそう思う。

 私はイライラしてる人も苦手だし、イライラしている自分も嫌いでした。
イライラするということ自体がよくないことだと思ってた。
だから私をイライラさせる出来事や人を嫌ったし、そういう出来事がなくなったり、対象者がいなくなることばかりを願ってたんですよね。
それに、すぐにイラつく自分が嫌だったし、変わりたかった。

 でもね、そういう風に思ってても、何にも変わらないわけですよ。
それを懇々と教えつづけてくださったのは、度々書いている気功治療師の林さんなんですけどね。

 善悪ではなくて、自分が何を選ぶか。
自分に起きることは自分が引き寄せている。
自分に起きる感情青否定するのではなく、受け入れること。

 というようなことを数年に渡って教えていただいてたんですが、なかなか理解できてなかった。
理解というよりも、実体験として身にしみないと、本当の意味で分かりはしないんですよね。

 
 
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2008.05.23 Friday 12:02 | こころのこと | comments(0) | trackbacks(0) |
本当にそうなのか?
 「自分が正しい」きっと私は潜在的にそう思っていて、その自分の判断基準で物事を正しいか否かと図っている。

 でも本当に私は正しいのか?
物事には必ず二面性がある。
私はきっとどちらか一方だけしか見ずに、判断していることが多すぎる。
だから腹立たしく思うことが多いんだろう。

 常々私の中で苛立つ人が居る。
きっと相手も私の何かに反感を持っているようで、互いに何か口に出すわけではないけど二人の間には変な空気感がある。
 私は外へ向けて発信できず自分にこもるタイプなので、その人に向かってどうこうする勇気もないけれど、向こうは明らかに私の挨拶を無視したりしてくるので、結構嫌なんだろうな。

 誰かの嫌いなところは自分の中にもある物。
そう言われるので、自分も振り返ってみるけれど、どうしたって自分が同じ何かを持っているとは思えなかった。
私はあんなふうに自分の機嫌で態度を変えないとか、あんな失礼なことしないとか。
絶対自分とその人の共通点なんてないと思ってた。

 でも今日、ふと思った。
私は自分が正しいと思い込んでる。
あの人もきっと自分が正しいと思ってる。

だから相手が気に入らなくて、磁石の磁極のように反発しあうんだ。 

なるほど、私とあの人は同じ物を持っている。



 一見善い事に見えることでも、違う方向から見るとあながちそうではない事も在る。

例えばこんな話はどうだろう。

 カシミアはカシミアヤギの毛から生産される。
ここ数年日本ではずいぶん安価でカシミア製品が手に入るようになっているが、中国やモンゴルで飼育されるカシミアヤギが格段に増えている背景がある。
カシミアヤギを飼育することで現地の人たちは収入が増え、生活も豊かになってきた。
 人は誰でも豊かな暮らしがしたいもの。
カシミアを生み出すためにカシミアヤギはどんどん増やされる。

 でも実は、カシミアヤギは食料となる草を根こそぎ食べてしまうらしい。
カシミアヤギに食べ尽くされた草原は、新しい芽を出すことなく砂漠化していく。
こうしてモンゴルの砂漠化が進んでいるというのだ。

 途上国の人たちが豊かな生活になればいいと思う。
貧しく飢えて死んでいく子供たちが、居なくなればいいのにとも思う。

 でもただそれだけでは、地球上の人類の増加や経済発展による二酸化炭素排出量の増加で、地球温暖化や環境破壊はは進んでしまう。
どこかがプラスになるならば、その分どこかがマイナスを作らないとバランスは取れない。


 そんな事実を知ったとき、物事は見えていることだけで判断できるものが少ないことに気が付いた。
そして、私が正しいと思うことは本当にそうなのか? という疑問も湧いていたのだった。

 価値判断やその基準というものが、人の人格を表すものだとは思う。
だからそれをなくすことは出来ない。

でも自分ではないものに、その基準を当てはめそのうえ善悪を図ることは間違っていないのか。

 物事は全てただあるだけであり、善悪はない。
そこになにを見て、どんな意味を与えるかはあなた次第。
あなたがどのようにあるのか、ただそれだけのことだ。

 こんな言葉があった。
でもこれを理解するのはとても難しい。

 実際私は潜在的に、自分が正しい、間違って居ないという立ち位置で物事を見ていた。
そう思っているであろう父親には、ずっと反発していたというのに。


 ずっと嫌だと思っていたその人の存在が、私に気づかせてくれた事はとても大きなことだったようだ。
 
2008.02.11 Monday 15:58 | こころのこと | comments(0) | trackbacks(0) |
腹を決める
 生きてると、やっぱり腹を決める瞬間てあると思うんですよね。
そのタイミングや状況は、人それぞれだろうけど。
覚悟を決めると言うかね。

 人によっては結婚かもしれないし、子供が生まれるとかそういう時かもしれない。
私もあります。

 10年ぐらい前かな。
言葉では表現しつくせないけど、叩き落されたと言うか、本当に生きる意味も希望も何にも見えなくなって、こんなことばかり繰り返されるなら、生きていられない。
生きるのが怖くなった事があります。

 何でこんなことばかりあるんだろう、何でこんな目に合わないといけないのかって。
当初は身動き取れないぐらい落ちたけど、まぁあまり落とされようにぶち切れたんですね。
もし神様がいたとして、そんなに私をいじめたいなら、そんなに私を追い詰めたいなら、生き抜いてやると。
どんな事が合っても、絶対生き抜いてやるって。

 あの時が、私が腹を決めた瞬間だと思います。
実際、あの時期から私の人生も変わってきました。
その後も苦しい事悲しい事嫌な事色々あるけど、逃げなくなった。

 私が長い間摂食障害だったのは、結局逃げていたからです。
(そうそう、20代前半から約10年以上、摂食障害だったんですよ)
それはそれで一つの戦い方だったけど、拒食や過食と言う食で紛らわすという意味では逃げだったんだな。
もちろんその当時はそれしか出来なくて、いつも出口を探してはいたんだけど。

 生きると言う事は結局は、自分の足で立つということだと思うんです。
覚悟が決まっていなければ、自分で自分の人生に対して責任を持たない。
全て自分以外の人や環境のせいにしてしまいがち。

 自分の人生を自分で背負う覚悟を決めたとき、初めて自分の意志で人生を歩む自由を得る。
案外そのほうが楽でもあるんですよね。
だって自分の意志でどうにでもできるんだもん。

 最近腹筋が少し付いたのか、妙におなかに力が入るんです。
そうすると、文字通り腹が決まる(笑)
丹力ってこういう事かしらとか(笑)
そう思うと、やっぱ身体を鍛えるって大切なのかもね。

 改めて、自分の腹を決めようと思ったのでした。
2008.01.27 Sunday 21:31 | こころのこと | comments(0) | trackbacks(0) |
栄養ってすごい! 元気って大事。
 昨日はちょっ疲れ気味でイライラしてる、なんて事を書きました。
やっぱり体の疲れが、思考にも影響してるのがよくわかりました。

 と言うのも、今日は朝からすっきりだから。
夏場や胃腸が悪くあまり食べられないときに飲んでいた、「コンクレバン」という栄養ドリンクがあります。
夫が入院してすぐに、自分がばてないようにといつもの漢方薬局さんで買ってきて、毎朝飲んでいたんです。
昨日はさすがにきつかったので、夜寝る前にも飲んでみました。

 そしたらびっくり朝はすっきり起きられるし、気持ちもすっきりでなんか元気。
昨日の朝とあまりの違いにほんとに驚いたんですが、やっぱり栄養って大事だし、体調って言うのは本当に精神に大きく影響するなぁと改めて実感。

 「コンクレバン」は飲む点滴といわれるほど、アミノ酸、ビタミン類など豊富に含まれているので、効き目も早かったんだと思いますが、やっぱり足りてなかったんですね。
アミノ酸もお肉とかたくさん食べればいいんだろうけど、胃が強くないので正直そんなに食べられない。
そうすると、普段より活動量が増えてると、完全にアミノ酸不足になりますよね。
病院通いに加え、毎日ブートキャンプなんてやってちゃ、そらアミノ酸もたりんて(^^;

 そして体が元気だと、考える事も考え方も全然違うから笑っちゃう。
健康で元気である事が、基本だと言うのがよくわかりました。
夫も今週いっぱいは入院していそうなので、しばらくはコンクレバンをしっかり飲んで元気つけようと思います。

 なんか気持ちが下向きだとか、なんかイライラするって方、体が栄養不足かも。
栄養素とくにアミノ酸がちゃんと採れてるか、見直されてもいいかもですよ♪


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2008.01.23 Wednesday 20:28 | こころのこと | comments(0) | trackbacks(0) |
反省
 「最近ちょっとしたことで、すぐ怒られる気がする」と、夫に言われてしまいました。
まるで子供に言われる様な事ですが。

 10歳も離れてるので、夫婦なのに親子のようなそんなところがあるんです。
私はもともと長女でどちらかと言えば世話焼きタイプ。
夫は次男で、しっかりはしてるけど世話やかれタイプ。
そこへ持ってきて私がかなり年上なので、つい私が上から目線でまるで母のように接してしまうんですよね。

 だからあーしなさいこーしなさいと、さも自分が正しいように押し付ける事がある。
夫も基本的には従順に聞いてくれるので、私がまたその事に気づかず押し付けてしまい、反発されると怒るんですね。
そういう時、私は自分が正しいと思い込んでるし。

 夫も揉め事が嫌いなので、すぐ「ごめん」と言ってくれるから、私自身はそれですんでたんだけど、夫はそうじゃなかったんだなぁ。
「最近なんかプリプリしてる」って言われて、かなりショックでした。
そんなつもり全然ないし、そんなに怒ってたつもりもなかったのに。

 逆に私は最近妙に夫の「言葉が冷たい」と思ってたんですよね。
だから何かに付けて「そんな言い方しなくてもいいやん」とか言ってしまってた。
夫は夫で、私が言う「そんな言い方しなてくもいいやん」って言うのが、怒られてるって感じてたようなんですよね。

  はぁ・・・・でもこれって、どっちがどっちって言うか、どっちから始まってるのかどっちが悪いのかってことでもないよなぁ。

 夫に「私は最近言い方が冷たいなぁって思ってたよ」と言うと、夫は自分が悪いんだ、自分が悪いから私が怒るのも当たり前って言ってくれたけど、そればっかりではないと思うし。

 夫が私に気を使わなくなってきた事が、言葉の変化でもあるだろうし、それは夫婦としては当たり前なのかもしれない。
それにいちいち「冷たい」とか「なんか違う」とか反応するほうが、いかんのかなぁとか。

 でも、夫婦ってやっぱり一番近い他人だから、親子とは違って何処かに気遣いが必要に思うのは、私の思い込みかな。

 実は昨日の夜にちょっと意見の食い違いがあって、結局そのまま寝ちゃって朝にはちゃんとお互い誤ってすんでたのに、今日些細な事で私が怒ったから、多分それも影響してたんでしょうね。

 私がいちいち細かい事を言うのがいかんとは思うけど、言われるような事をするんだもんなぁ。ってまだ、自分が正しいと思ってるけど(^^;
 でもこれって、ほんと子供相手に親御さんが格闘する事と一緒ですよね(笑)


 昨日太極拳の後、50代の方も交えて数人で話していて、「身内だから難しい事がある」って言ってたとこなんですよね。
「他人だと一線をひいてるからある程度は流せる事も、身内だと流せない」なんて話をしてたんだよね。

 他人の事なら「まぁ良いか」で済ませられても、こと身内となるとなかなか簡単にはそうはいかないって事ですよね。

 最近は対他人の関係はすごく良好で、職場でも何でもスムーズにいって調子いいなと思ってたのに、夫との関係に実はちょっとズレが生まれてた。
正直、 ガーン って感じでした。
一番ずれちゃいけない所なのにね。

 今日は少し話し合って、お互いに違和感感じた事はちゃんと伝え合おうね、言わなきゃ分からないからねって事で落ち着いたんだけど。

 私が夫に「なんか冷たい」と思ってたように、夫も「なんかキツイ」と思ってたんだなぁ。
自分が感じてる事は、相手も感じてるってことか。

上から押さえつけよう、服従させようとしたがる、私の中の無意識の部分。
やっぱり問題はこれかな。
分かってはいたけど、見つめるのを避けてきた部分でもある。

簡単に言えば、そうされて来たからそうしてるって事なんだけど。
でもそんな簡単なことでもないか。
色々あるなぁ、自分の中に。

ちゃんと向き合うべきときかな やっぱり。
2007.12.13 Thursday 13:17 | こころのこと | comments(2) | trackbacks(0) |
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